諸葛亮と同盟の巻

tairai2007-12-24

諸葛亮の呉と同盟を結ぶいわゆる三分の計が、誰でも思い付く規定路線などと軽く見られる傾向がある。
現代でみれば環太平洋で経済協力を行い、中国(米、EU)などに対抗しようと唱える人は多い。しかし今だ現実的では無いのは何故だろうか。誰もが思い付き、各国に利益があるにも関わらずである。
話しはずれるけど、もやもやとしたものを思い付く事は戦略以前の問題で、アイデアですら無い。妄想にすぎない。

呉との同盟というのは、台湾(劉備たち)が環太平洋で経済協力プランの発起人となり日本(呉)に強く参加を要請するという困難を極める交渉である。
日本(呉)の状況的を言えば、首相の政策秘書のひとり(魯肅)が必死に勧めてはいるが、官房長官周瑜)は「やるとしても日本手動でやる」と言い、最大派閥の長(張昭)は「台湾とそんな事をすれば中国にいらぬ懸念を抱かせる、今は時期が早い、中国マーケットとは仲良くすべきだ」と、逆風である。
ひるがえって台湾(劉備達)の現状は中国(曹操)の経済政治圧力(敗北中)を受けていっぱいいっぱいである。ほっとけば自滅である。とてもじゃないが交渉にはならない。
しかも交渉に来たのは環太平洋プランの企画者であるものの台湾首相の政策秘書諸葛亮)にすぎない若造である。
この難局である時期に交渉を纏めたのだ、同盟成立させた逆転劇を"奇策"と絶賛されるのも無理は無い。
でもって、プランは成功。台湾(劉備)の独立は認められる。実質的には日本(呉)が動き、うま味だけ得たのだから恐れ入るというものだ。
この交渉で諸葛亮は口先だけのインテリででは無いはない事を証明したのである。風を吹かせるよりも大きな功績と言える。

また、諸葛亮を官僚的な人物と思われている人も多いが、自分の才能を管仲(古の名宰相)楽毅(名将軍)に匹敵するなどと喧伝するような人物である。
一筋なわで行くような官僚的な人物であるハズが無い。もっと偏屈で個性的な性格と言える。
なんとなくホームズに似ているかもしれない。という結論で。

ところで、誰か「THAトクメイ記者」見た人はいませんか?あのすごっぷりを誰かと話したいのです。あまりにあんまりなので、笑いがとまらねー。投げっぱなし解決しないのはデフォ。