渡邉義浩先生の名士論へ

p188
諸葛亮が疑似郷里として、名士の立場を確立できているとするならば、長期滞在する劉備もまた疑似郷里として名士の立場を確立できるだろう。
ならばより名声の高い劉備こそが荊州領有の原動力と考えるが方が自然である。

また、諸葛亮は名士としての横の連帯に熱心ではない事は正史に残る史実である。(p210において自らの派閥が崩壊する事を恐れる諸葛亮の姿を描写されてはいるが、諸葛亮は学閥の中で孤立している時にも支持してくれた、数少ない友人が劉備の陣営より去り、派閥?の崩壊を経験している)

諸葛亮を得る事が荊州の名士の支持を集める為と考えるよりも、支持を集めた名士の一人と考えるべきではないか。
ならば見出だされた諸葛亮は名士として協力関係にあるのではなく、任侠的(個人的な恩義)な繋がりではないだろうか。



他にも細かく言いたい事はあるけれど名士論や、三国志の時代の派閥を否定するつもりはないが、諸葛亮で証明しようとするのは、キャッチーではあっても、やっぱ無理だよ渡邉先生。